「年末調整の児童手当が縮小?」 | ||||||||||||||||||
政府与党と財務省と厚生労働省は、児童手当のうち「特例」とされている高所得世帯への給付を縮小する調整に入りました。 現在児童手当は、15歳以下の児童を養育している場合に主に父母に下記の基準に定められている金額が支給されます。
※ 所得制限限度額の年収目安(扶養親族の数により異なる) 1人:875万円 2人:917万円 3人:960万円 4人:1002万円 ※ 所得制限限度額を超えた場合は、特例給付となります なお上記の所得制限は、世帯の中で一番年収(所得)が大きい人を基準に判定されており、例えば、A世帯:世帯年収1,200万円(夫700万円、妻500万円)とB世帯:世帯年収1,100万円(夫1,000万円、妻100万円)ではB世帯のみが特例給付となります。※子供が1人と仮定 今回の縮小案は、特例給付を廃止又は縮小し、年収基準960万円とし、判定を所得の大きい人から夫婦合算に切り替えるという内容です。仮にもし廃止ということになれば上記のA世帯では子供の数や年齢によって異なりますが、最大一人当たり年間18万円の給付が無くなる事になります。 なお今回の改正案により900億円程度の歳出削減効果を見込んでおり、待機児童解消に向けた保育所増設の財源に充当したい考えです。 今回の見直しは、子育て世帯への影響は大きいと思われます。与党内からも「慎重に」という意見も出ているようです。コロナ禍の中、先行きが不透明な時代です。政府与党には、こういった政策の決定は慎重にして頂きたいです。 |
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( 真 下 ) |
「三種の神器」 |
「三種の神器」とは天皇家に伝わる3つの宝物で天皇から天皇へ代々受け継がれているものですが、宝物以外にも車や家電等、その時々の時代を象徴する耐久消費財を表すときにも使われます。 車や家電等が「三種の神器」と呼ばれ始めたのは1950年代で当時は白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の3つを「三種の神器」と表現していました。当時この3つは庶民の憧れの象徴で、10年程で普及し、それ以外にも便利な電化製品が手に入るようになり、家事負担が減少して女性の社会進出が始まりました。 1960年代から70年代にかけては高度経済成長を背景に専業主婦の割合も高くなり、カラーテレビ、クーラー、自動車が「新・三種の神器」となりました。 今では当たり前のように一般家庭に普及しているものが昭和の時代には当たり前ではなく、とても高級なものだったようです。 平成の時代はどうでしょうか? 2000年代初めにはデジタル化が進み、薄型テレビ・デジタルカメラ・DVDレコーダーが「新・三種の神器」または「デジタル三種の神器」として注目されました。これらは、余暇を充実させるものというイメージが強いですね。 子どもの運動会等の行事にはこれらの家電製品が大活躍し、デジタルカメラで撮った映像を家のレコーダーで、家族で鑑賞していた人も少なくないと思います。 そして、平成の終盤から「新・三種の神器」と呼ばれるようになったのは、全自動洗濯乾燥機・食洗機・ロボット掃除機。家事にかかる時間を減らす「時短家電」です。 私自身も乾燥機付きの洗濯機を採用していますが、この便利さを一度味わうと元には戻れません。乾燥機能が使えない衣類もありますが、洗濯機から洗濯物を取り出し、干す。乾いたらそれを取り込む。この一連の手間暇は相当な負担ですし、乾くには時間も掛かります。この負担が無くなった時は本当に感動しました。 食洗機とロボット掃除機は使ったことはありませんが、人間が作業するよりもクオリティが高く、水道代や電気代等も抑えられるそうです。加えて人間の家事負担も軽減出来るので共働き家庭はぜひ採用してみてほしいものです。 2016年の時点で専業主婦世帯が664万世帯なのに対し、共働き世帯は1,129万世帯という、専業主婦世帯よりも共働き世帯のほうが倍近くになっているようです。1980年の時点では、専業主婦世帯が1,114万世帯で共働き世帯は614万世帯だったので、ほぼ逆転しています。 このように、「三種の神器」の移り変わりはその時代のライフスタイルを表していると言えます。 ライフスタイルの変化、技術の進歩により今後も様々な電化製品や便利な機械が開発されていくことが予想されます。その反面、モノを持たない、増やさない風潮が強くなり家電はレンタルする時代、もしくは家事代行サービスに任せる時代になるかもしれません。 令和の「三種の神器は」は一体何になるのでしょうか。皆さんはどう予想しますか。 |
( 橋 本 ) |
「和歌山のみかん」 |
先日、実家のみかん取りのお手伝いに行った時のお話です。私は和歌山の出身です。私自身は和歌山市内に実家があり、山海から離れたところで育ちましたので、地元の特産品のようなものを身近にしてきたわけではありませんが、山東という町にある母方の実家が、野菜畑とみかん畑と竹林を持っていたので、同級生よりは、比較的和歌山特産の農作物に恵まれていた方なのかなと思います。 とはいえ、私自身は祖父祖母の畑には小学生の頃ぐらいに行ったのが最後で、それ以降ほとんど手伝いをしてこなかったので、「みかん狩り」や「たけのこ掘り」の記憶がほとんどありませんでした。妻がみかんの収穫というものを一度体験してみたいというので、今年は手伝いに帰省しました。 何十年ぶりに、みかん畑に行ってみると、子供の頃は広大だと思っていた土地が、わずか2段分、せいぜい20本ほどの狭い畑だったことに驚きました。 和歌山のみかんは概ね小ぶりで、鈴なりに結実する品種です。有田で育てたみかんではないため「有田みかん」とは呼べないですが、品種的には近いものだろうと思います。面白かったのが、みかんの収穫と言っても、全部の木を一度にとってしまうのではなく、収穫して良い樹と、駄目な樹があったことです。(祖父の趣味程度のみかん畑なので、品種を統一しなかっただけかもしれませんが。) 祖父は品種名を覚えていませんでしたが、それぞれの樹ごとに、「これは早生(わせ)」「あれは中生(なかて)」というのはしっかりと把握していて、今回は早生みかんのみを収穫しました。収穫時期ごとに、極早生・早生・中生・晩生(おくて)・極晩生と区部されているようで、言われてみると、果実の色や大きさが違っておりました。例えば極早生のみかんはかなり実が大きく、?(じょう)嚢(のう)という白いわたの部分がかなり多い品種でした。 今回もう一つ感じたのは、祖父の実家周辺も高齢化が随分進んでいるということでした。同じ山でも、最近の台風により樹が折られ、樹と樹の間がかなり空いてしまっている畑や、育てる人ないなくなって放棄された畑も散見され、幼い頃に見た風景が少しずつ失われているのに少し寂しさを感じました。 人間誰しも年を重ねるにつれて、自分のルーツというものをより深く知りたいと思うようになるものだとおもいます。私も、家族の歴史が完全に失われてしまう前に、一つでも多くの情報を引き継いで行こうという思いを強く持つようになりました。今の家には小さい庭があるので、いずれ地元からみかんの木を一本持ってきて、自宅でも育てられるようになればといいなと夢見ております。 |
( 石 橋 ) |